06/28の日記
09:49
春の雪パロ 4
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絳攸の予想より早くその日は来た。
その日は朝から体調が思わしくなく、寝台から身を起こすのも億劫なほどだった。
だが新人官吏の絳攸には、日々大量の仕事が割り当てられており、よほど高熱でもない限り休むわけにはいかなかった。
思うように動かぬ体を叱咤し、引きずるように室を出た。
「おはよう。絳攸」
「おはようございます。百合さん」
扉を開けると貴陽に帰ってきたばかりの百合がふんわりと笑って、久しぶりに会う娘を迎えた。
起きたばかりで簡単にしか身支度が出来ていない自分とは違い、百合は髪を結い、控えめな色合いながらもきちんと衣を纏っていた。
滅多に会えない百合と一緒に朝食をとれるという高揚感で体の不調を忘れ、自然と笑みがこぼれた。
室を見廻すと卓には百合しか居らず、黎深は未だに夢の中だと百合は特に困った様子も見せずに言った。
苦笑する絳攸の目の前に家人が朝食を運んできた。
当主夫人の帰宅を歓迎するかのように、朝にしては豪勢な朝食が卓を飾っていた。
たちまち部屋中には食欲をそそる様な香ばしい香りが充満した。
いつもなら好ましく思う、その食物の匂いが絳攸の臓腑をまともに刺激した。
「うっ!」
突然、込み上げてくるものがあり、両手で口を塞ぎ、慌てて部屋を飛び出した。
その様子に何事かと百合もその後を追った。
胸が焼きつくような二日酔いにも似た感覚が襲い、自分の体を制御できない不安に駆られながらも必死で堪えた。
ろくに前を見ず走ったせいで目の前の障害物に気づかず、何か柔らかいものに思いっきりぶつかってしまった。
絳攸はその衝撃で堪えていたものが我慢出来ずに、口の中のものを吐いてしまった。
ゼイゼイと肩で息をし、それでもなお込み上げてくる嘔吐感を再び必死で押さえ込んだ。
昨日の晩も食欲がなかったため、何も食してはいないので吐いた量はそれほどでもなく、衣が少し汚れた程度だった。
だが問題はそこではなかった。
霞む目の前に広がる色彩に絳攸は激しく眩暈がした。
何故なら、自分の吐瀉物で汚れた衣の色は、鮮やかな真紅だったからだ。
恐怖に打ち震え、絳攸は恐る恐る顔を上げる。
そこにいたのは盛大に顔を顰める黎深が立っていた。
その絶望感に吐き気よりも、心臓が止まるかと思った。
足元が崩れ、底の見えない深淵に落ちる感覚の中、遠くで百合さんの何か叫ぶ声が聞こえた。
意識が朦朧とし途切れる直前に、崩れ落ちる体を黎深様が抱きとめてくれる幻を見たような気がした。
※ ※ ※ ※ ※
「気がついた?」
ぼんやりとする頭に響いてきた、澄んだ高い声の方へ視線だけを向ける。
其処には、あきらかにホッとした様子の百合が寝台の端に身をよじるように座っていた。
「っ!」
失神する直前のことを瞬時に思い出し、寝台から跳ね起きた。
「具合悪いみたいだから寝てなきゃ駄目だよ。仕事は黎深が変わりにしてくれるから安心して」
そう言って再び横になるように体を優しく押された。
汚れた衣を取り替えてくれたらしく、清潔な夜着が肌に心地よかった。
だが黎深の衣に吐瀉をしてしまった事が頭の中をぐるぐる駆け巡り、まだ胸焼けが治っていない体調と合わさって気分は沈降の一途だった。
「・・・ねぇ、絳攸。さっき、あなたをお医者様にみてもらったんだけど・・・」
いつも穏やかな笑みを浮かべている義母が真剣な顔をして、自分をじっと直視していた。
「あなた妊娠してるって」
「・・・・え?」
何かの冗談を言っているのかと思い、笑いながら百合を見る。
いや、冗談だといって欲しかった。
そんな絳攸の期待を裏切るように百合は真剣な顔を崩さなかった。
「父親に心当たりある?」
「・・・・・」
父親・・・。心当たりはあるに決まっていた。
自分が体を許したのは生まれてこの方、一人しかいない。
だが言えるわけがない。
言ってしまえば楸瑛に迷惑がかかってしまう。
自分は未婚の上に、来月には紫家との正式な婚約発表が控えている。
この話が先方に伝われば、いくら藍家直系といえど無事ではすまされない。
「黙ってちゃ解んないよ」
「・・・ごめんなさい」
「責めてるわけじゃないんだよ」
「・・・っ、ひっく・・・・・ごめ・・・んなさい・・・・っ」
両手で顔を覆い、とめどなく流れる涙を必死で押さえ込もうとした。
自分に泣く権利はない。
自分のした愚かな行為で黎深や百合の顔に泥を塗ってしまったのだ。
捨て子の自分をどれだけ慈しんで育ててくれたかを絳攸は知っていた。
その恩を仇で返すようなまねをしてしまったのだ。
堪えれは堪えるほど涙が溢れ出す。
嗚咽をとめることの出来ない自分を百合は優しく抱きしめてくれた。
百合はそれ以上は何も言わず、父親を問うこともしなかった。
ただ、自分の背を泣き止むまで、ゆっくりと撫でてくれた。
優しくしないで欲しい。
醜い自分を責めて、叱責して、罵って欲しい。
弱い自分はそれに甘えてしまう。
また叶わない夢を見てしまう。
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