逕庭の猫
□政宗の猫
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話していたのは他愛の無い事ばかりだ。
爺さんの孫の子、つまりひ孫の話やら、近所で生まれた仔猫の話、時折子供が怪我をしてきて、引退した身だというのに怪我をみることもあるだとか。
大昔、政宗の話題も少しだけ聞いた。まだ幼かった頃、口が達者で可愛げがなかったとか。今もそんなに変わらんか、と爺さんは苦笑する。
大分話し込んでいたらしく、不意に空を見上げると、日はやや傾きはじめていた。
「うーむ、もっと早うに気付いてやればよかったのぉ」
そうすればもっと楽しい時を過ごせていたかもしれんのにと、やや後悔を滲ませて爺さんは息を吐く。瞼を開き、俺を見下ろした目は嬉しそうにしていたが、少し寂しげでもあった。
「伊達殿が羨ましいことじゃ」
「……そう言うな。猫と言葉を交わすなど本来は異質な事。
俺に悪意がないとしても、世間に知られれば避難を浴びせられる事もあるだろう。魔が憑いたとでも蔑まれるかもしれんぞ」
「……寂しい事を言うでないよ」
だがそれも人だ。
疑り深く、排他的で欲が強い、しかしどんな生き物よりも情が深い。
情が深い故に残虐で、そして優しいのだ。
「俺は以前、それに近い人間と長いこと連れ添ったことがある。」
異常なことは何一つ受け入れられない常識に縛られた人間だった。何年経っても老いもしない俺の体が異常と気付けば俺を捨てた。
「……それでも、それまでは優しい奴だったな。お前や政宗と同じく、大切な主だった。」
思い出したように、一つ、にゃあと鳴く。
裏切られたのだと言っていた。信じていたが故に、俺に裏切られたのだと。
俺自身を受け入れては貰えなかった。当時それは寂しく、悲しかったことだろう。
だから俺は人前で喋る気はしなかったし、あまり長く飼われる事もしなかった気がする。けれど爺さんは、爺さんの側は心地よすぎて、10年近くも居着いてしまったが。
そっと撫でたやわらかい皺だらけの手は、俺を慰めるつもりだったのかもしれない。けれど俺はそれを思い出すことで傷付きはしなかったし、苦しさも感じていなかった。
当時はどうだったか、流石に覚えてはいない。泣いたかもしれない。だが今はその感覚を思い出せはしない。
俺は俺として、こうして無事に生き長らえてこられた。
名は忘れたが、彼と同じように、こうして爺さんに、政宗に出会えた。それは苦しく悲しい工程だったかもしれないが、それで結果救われたのも事実だ。
「今は、幸せか?」
「……そうだな。少なくとも不幸ではない」
賑やか過ぎる場所、爺さんの側のような静かで穏やかな時間はそうそう無いが、だが、それを政宗に強く望もうと思ったことは無い。
ただ側にあればいい。静かでなくとも、穏やかでなくとも、政宗といる時間は苦痛ではない。時折祭り事に巻き込まれはするが、不幸だと感じた事は少しもなかった。
「……そうか。それなら安心じゃ」
「爺さんは幸せか?」
同じことを問い返せば、爺さんは一瞬目を丸くしてからじんわりとにじむように、皺を深くさせてやわらかく笑んだ。
「幸せじゃよ。藤雪とおれぬのは少ーし、寂しいがな」
「俺も、きっと同じだ。」
そうか、と笑みが深まるのを見て、俺の胸の奥が暖かくなっていく。
本当に、この男はよい主だった。真正面から言葉を、いや、交わしたのは心だったか、改めてよい主だったのだと実感する。
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